この世は目に見えないお力が働いている事を知るべし

来るまで10分太宰府天満宮は人々が集まるのはなぜ?不思議な悶々
大宰府天満宮の堤論明日へ西高辻さん西日本新聞抜粋引用」
1、日本人は、なぜ目に見えない神様にお祈りするのか?」と言う疑問や、日本人が
「目にみえないもの?」と向き合う姿勢から受けた衝撃、それらを出発点
「なにごとの、おはしますかは、知らねども、かたじけなさに、涙こぼるる」
これは、平安時代末期に活躍した歌人西行伊勢の神宮を参拝した時に詠んだと言われる歌である。「目に見えない」神様の前に立ち、どなたがいらっしゃるかはよくわかりませんが、畏れ多くて有難くて、只、涙が溢れて止まりません。「目に見えない?」が心で感じ、誰にでも、おのずと手を合わせ、お願い事や感謝の気持ちを表し、逆に神仏から大きな安心感や元気をもらう。
日本人は、四季の移ろいや森羅万象の自然現象を肌で感じながら生命の営みを繰り返してきた。時に、猛暑、大雪、台風、地震等の自然災害等の辛さや厳しさに見舞われることもあるが、様々な環境の中で生かされていると言う事に、自ずと深い感謝と畏敬の念を抱いてきた。又、この環境には、自然環境だけでなく、人と人との環境も含まれるのである。自分一人で生きているのではなく?人との繋がりの中で、絆、思いやり、敬意、感謝、礼儀等が、生まれる。それら「目に見えないもの」を特に大切にしてきた価値観こそが、私たち日本人が誇るべき特性であり、日本の精神文化の根底を成していると言えよう。☆目に見えるものしか?信じられないのではなく?「目に見えないもの」に大きな価値を見出す。目に見えなくても大切なもの、目に見えなないからこそ、
大切に守り伝えなくてはいけないものを大事にする。その様な我々の潜在的な感覚をもう一度掘り起こし、日本人が本来兼ね備えている、「モノ」ではなく「見えないもの」を大切にする価値観を輝かせる事、キーワードそれは「時間」である
世の中の無数の存在する匂いや音、繋がりや思いも、私たちが慌ただしく生きる中で
意識する機会が少なくなっていいるように感じる。時には立ち止まって、「目に見えないもの」に思いを馳せ、長い時間をかけて形成されてきた日本人の価値観や誇りを確信し、次世代に受け継いでいかなければならない。私たちには「目に見えないお力や助けていることを」忘れないようにしたいと思う。