親父の様な方が光の世界に先立たれる

私のひとりごとです。
私の父親とは17歳で死に別れた。
もう一人の仏ごとの先生、父親みたいな存在が逝こうとされている。
7日、旧友から明日8日からお父さん入院するとの連絡があった
毎年、この季節新米を持って行くので、今日の朝に今日行こうかと
息子が自転車で駅まで行たので、帰りのお迎はしなくていいなーと思いってた。
新米を先生宅に持って行こうかなーと朝からずーと考えていた。
東京の旧友から電話あり、状態が悪いので明日入院させるとのことだった
夕方、早々に切り上げて、先生宅に向かった、
玄関で応答がない、あらー!電気やテレビは付いているが、あれーっ
窓越しにサッシを手で覆い、見ると先生ソファーで先生寝ていた
悪いなーと思いつつ、米もあるし、サッシを叩くと、先生はきつそうに起きた、、
ドアを開けて頂き、新米の米を祭壇の前に運んだ
先生は、助かるーうまいしありがとう、ありがとうと何度も言われた。
先生の顔を見た時違う、何かが違う、もう疲れて目が違う もう駄目の目だ
約一時間ほどの滞在で、いろいろ気付きの言葉があった
今後の滝の修行事柄にもいろいろ言われた。
でも今までに見たことがない姿で正直驚いた?凹んだ。
約3分の2は胸を抑え前屈みで痛い苦しいと言ってテーブルに頭を付けしゃがんだまま
夜も寝れないらしく、一時間度に痛くて起きる、
昼間寝て夜は寝れない、起きてても痛い、はるかさんが寝ているので、、と
お大師様の死期の事柄を話され、私は断食して死のうとしたが出来ないなー
お大師様は本当に偉大だと話されていた。
旧友から聞いて知っていただが、先生から近々に入院することに決めたと言われた。
こんなにひどく苦しいなら早く入院すれば良かったかなとー弱音を吐かれる
先生、入院すれば酸素呼吸器もあるし、食事も体に合った物とれ安静でき
済度してくださいと信者さんも頼まれないだろうし
先生はそうやなー、私の今の薬も、現状に合った物を模索しているからなー
合った薬がわかるだろうしなー、そうすればもう少し来年までは生きるやろーって
このままでは、今年までもたん、死ぬかもぞーと弱音言われる
先生タバコ吸ってないじゃないですか?苦しいから、一日1本位吸うとぞーと。
病院行けば吸えないし、湿度も部屋もだいぶよくなるだろうーし
何かあれば、医師がいるから安心ですよ、休養して帰ってくると言われる。
私は、このまま病院で逝かれるのではないかと心配する。
先生自体、苦しいから、どうしても何しても苦しい、痛いから 戦っているが
本人はこの、きつさに逃れたいみたいである。
一人車で近くの海に向かって行ったと言われた、苦しから即帰ってきたと!
死のうとしたのではないかと思った。
いつも気丈な先生が人間が、物凄いガンとの戦いをされている。
私は、換える前に、お大師様に勤行をあげるくらいしかできない。
先生は、だいぶ分かってきたなー!時と場合に多じて気合で拝む時や、
心優しく拝む時の区別が出来るようになったと言われた。
褒めていただいた、心がこもっていたよ今日のお経はと。。。
先生は正直このままでは、一ヶ月二ヶ月かもしれない。
病院に入院され酸素吸入と適合投薬をし数年は延命して欲しいが、勝手な要望で
先生の気持ちはだれにも分からない、
お大師様、先生をよろしくお願いします。と祈るしかできない。