私は、真言宗の行者なんです。

ある、お坊さんから、貴方は行者(ぎょうじゃ)さんです。と言われた事があるんです。
自分も行者系だなーと思っていたのを、ずばり言われた。
そうやなー今までお大師様が説く真言宗の難行修行は経験した。
毎月の滝修行も、自分のライフプランに成っている。
僧に成りたては、いやだなー寒いなー怖いなー冬は死ぬなー等魔が入っていた。
今では、毎日でも入りたい気分で、滝に打たれる幸せ感、自然との一体感
祝詞で知られている、
「祓戸の大神達、諸々の枉事、罪穢れを、払ひ賜へ、清め賜えと申す事の由を
天津神国津神、八百満の神等共に、聞食せと、恐み恐み申す。」
すべての神さんから、自分の心や知らず知らずの罪を清めて頂いていると感ずる。
今月は歩き遍路もあり、各札所寺でも、何もお願はしないんです。
いま、此処に私が健康で自分の足で歩いてこれた感謝、札所のご本尊に逢いにこれた感謝、過去現世来世いつぞやにう助けてくださったかもしれないお礼やご加護に感謝、
最後に、ただ「ありがとうございます」と感謝の意を伝えるだけである。
歩き遍路でも何の苦にはならないのである。
昔は何日もかけて、歩くのが普通で、昔の人々と何ら変わらないのです。
簡単に言うと、神々の境地や魂や心に近づき、自分の魂を磨き
人々を助け、願を祈願し、人様に少しでも役立つ日がきっと来るであろう。

こんな私を加護下さる、仏様神様に感謝。私の関係者様に感謝。

■修行・行者とは次の意味がある。
1.行者(ぎょうじゃ)とは、○○の修行を行う者の意であり、本来は仏教に限らず、広く古代インド宗教全般に見られ、特に断食行や針山の上に坐禅をするなどの苦行の行者が有名であり、釈迦も悟りを開く前に苦行をしていた事で知られる。中国・日本に於いては、特に山岳修行を行う者を指すようになり、修験道の開祖である役小角は「役行者」と呼ばれている。修験道の行者については山伏も参照。

2.行者(あんじゃ)とは、仏教寺院において僧侶のように出家をせず、俗人のまま、米搗きや薪拾いなど寺の雑務を行う労働者の事である。特に中国禅宗に多く見られ、禅宗六祖の慧能が、五祖の弘忍のいた黄梅山で「盧行者」として米搗きに従事していた時に弘忍から六代目として認められた事例が有名である。これが転じて、現在の日本の禅宗寺院では、高位の僧侶の身辺の世話をしたり秘書的な仕事を行う僧侶を行者と呼ぶ場合がある。
3.『西遊記』において孫悟空のこと。「悟空」という諱を避ける避諱のため「孫行者」とか「行者」と記されている。この名前は、『西遊記』の元となった宋代の説話「大唐三蔵取經詩話」で三蔵法師玄奘三蔵)を守護した猴行者に由来する。